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2013年7月 草津日記 白砂山

平成24年8月11日(土)

17:45 診察終了後友人Yがクリニックにやってきた。盆休みに入るがまだ高速道路の渋滞は聞こえてこない。
カーナビで山荘手前の六合村に到着予定23:00? そんなに早く着くかな? 18:00出発。案の定、環八大渋滞、谷原交差点19:45、目白通りから関越道に入る。空腹のため嵐山小川SAで20:30夕食。今回の旅で最後のきちんとした食事になるかもしれないのでヒレカツ定食をたのんだ。渋滞はないが、予報どうり小雨が降り出した。22:00渋川伊香保ICを下りる。
前日ワイン1本とイカの薫製しか買っていないので、長野原草津口までの間のコンビニでビール・明日の朝食と登山用の食糧・水を揃えた。中之条町を過ぎいつもの川沿いの曲がりくねった道(145号)を予想していたが、途中から素晴らしい道路に様変わりしていた。八ッ場ダムが完成すれば川沿いの道は水没するので山側にトンネルを造り、長野原草津口までバイパスを造った様だ。
70~80kmで行くと草津口に23:30到着。ここを野反湖・花敷温泉方面に右折し、292号線に入る。雨脚が強くなってきた。道路は多少整備されたようだがへたっているので40~50kmで安全運転。さらに花敷温泉方向へ右折、405号に入る。ここから花敷までは六合村経由でまだ良いが、花敷から55号を使い小倉部落を経由して開善学校までは悪路を覚悟していた。ところが道幅は広がり、舗装も良くなっているため山荘に0:15到着。予想よりも30分早い。入り口をハイビームで照らすと本降りの雨に打たれながらYは鍵を開けて中に入った。

8月12日(日)山荘に侵入者?

数分の後Yは不満そうな顔で出てきた。「布団が使われてる」私も急いでヘッドランプを点けて中に入った。普段飲食に使っている居間に布団が2枚床にしかれていた。低いテーブルを照らすと灰皿には吸殻が残っており、持ち込まれたマグカップ・空の焼酎の瓶・水の半分残ったペットボトル・開けていないカップラーメンが見つかった。内部は荒らされた様子はなく、鍵も壊されていない。良くみると小さなドライバーセットが見つかり、先が針状のものだけセットから離れたところにあった。これで鍵を開けたのではないか?
隣の寝室をのぞいてみると手つかずの様だが、箒が壁にたけかけてあり、私はしらずしらずのうちにそれで部屋を掃いていた。実は外部からの持ち込みだった。Yの勘では山荘を知る者はほとんどいないはずだから、近所の山林の労働者達ではないかとのことだった。箒まで持ち込み、部屋を掃除し、何泊かした様だ。Yは黙って考え込んでいたがしばらくすると布団をたたみ、テーブルの位置を元に戻した。

明日は野反湖から白砂山(2140m)を目指すため、早く休もうと私は寝室にビニールシートを広げ、寝袋を用意した。入られたのは不愉快だが、実害はさほどなく、鍵を変えることで対応できそうだ。ようやく我に返ったYと缶ビールで乾杯をした。この後もしばらく何のため、どうやって入ったのかの推論が続いた。2:00ようやく寝袋にもぐりこんだ。

白砂山に雨

朝寝坊してしまいヤマザキのツナサンドで遅い朝食。予報では甲信越にところどころ豪雨注意報が出ている。しかし、陽も差しているので野反湖の白砂山登山口まで行き、登れるところまで登ってみようということになった。11:50出発。
30分ほど霧の中を上がり切ると左手に濃紺の湖面が現れた。天気が悪いためか人が少ない。北西の端の展望台駐車場(1550m)に車を停めた。この北側の白砂山登山口を12:40出発。こんな時間から登るのは我々だけだった。日没を18:45と考えると行けるのは堂岩山(2051m)までの往復4~5時間というところだろう。雨の中、ヘッドランプでの下山だけは避けるつもりだった。

だらだらとした長いアップダウンが続く。1700m以上だがTシャツ1枚でも汗だくだ。道はよく整備され、両側の熊笹をきれいに刈ってあるが、ブナのため周囲の山はほとんど見えない。白い雲の中にところどころ黒い雲が近ずいてくるのが見える。そろそろ降られそうだ。風も少し出てきたが1~2分の立ち休を30分毎に入れて距離を稼いだ。一瞬だが北東に堂岩山らしき山容に出くわした。14:30堂岩山への最後の登りを残すところで小雨が降りだした。
急いで木の下に入り雨具を着ようとしたところ大粒になり、撤退を決めた。スタートも遅く、降られる覚悟で来ていたので何も思い残すことは無かった。
雨脚は次第に強くなり、足元も滑りやすくなっていった。結局2時間で1900m地点まで登り、1時間で戻った。走る様に下山したので大汗をかき、ずぶぬれと変わらない状態だった。15:40登山口に戻ると次第に雨は止み、展望台で遅い昼飯にありついた。霧の中に紺色の鏡のような湖面が一部顔を見せ、幻想的ですらある。今日の山行中最高の眺めだったことは恨めしい。コースタイムではおよそ4時間30分のところを3時間で往復したので脚があちこち痛み出した。風に吹かれて体も乾き、少し寒くなってきた。ベンチから立ち上がったがだいぶ消耗している。

弁当を買い忘れる

野反湖から花敷経由でゆっくりと車を走らせ、晩飯をどこで買うか悩んだが、草津温泉までは1時間かかるので、最寄の群馬大津駅のコメリに17:00到着。群馬大津は近いといっても花敷から30分、吾妻線長野原草津口の隣駅である。いつものとうり酒と肴はすぐに買ったのだが、弁当は売り切れだった。後で炭水化物を探すつもりだっただが、風呂で早く汗を流したかったのですっかり忘れていた。山荘に帰る途中腹が減りだし、弁当を買い忘れたことを思い出した。花敷温泉直前のドライブインも蕎麦屋も閉店直後でまったくついていなかった。食事は諦めて山荘でとることにした。

花敷温泉で入湯のみは「関晴館」が16:00までで今日は入れない。あとはいつでも入れる無料の村営温泉(Yは住人だから使用権があると言っている)があるが、石鹸は置いていない。少し車を走らすと、花敷から途中橋を渡ったところに尻焼温泉「光生館」があり、お泊り・ご休憩と看板にある。聞いたところ運よく入湯OKだった。18:00ちょうど夕食の時間で食堂に泊り客が集まっていた。湯には大きな窓があり、霧のかかった森を背景に白砂川の支流を眺めおろし、せせらぎの音が聞こえる。我々の貸切状態だった。次第にふしぶしの痛みも取れてきた。昨年行った町営の草津温泉の熱湯とは違い、白砂川の水で温度を下げているのか、湯加減もちょうど良い。湯を出てカウンターに支払いに行くと、いかの燻製を見つけた。少しでも晩のおかずの足しになればと買った。

晩飯はコーンビーフの缶詰・鮪の刺身・せんべい・いかの薫製・ポテトサラダとなった。ビールとワインはあるがやはりご飯ものがない。せんべい以外は全部食べたが、ボリュームは普段の半分強か?何となく足りない。Yはカロリーメイトとチョコレートで飲んでいたが、何故か満足気だ。私は甘いものは肴にならず、仕方なしにちびりちびりと飲んだ。結局この晩飯の後、翌日まで腹は満ちることがなかった。

8月13日(月) 

8:00起床、残しておいたロールパンをかじった。部屋をかたずけ、鍵をかけた。入り口に「立ち入り禁止」の張り紙をし10:00出発。途中榛名湖で昼食になった。湖畔の大きな食堂で焼肉定食を頼んだが何故か売り切れ。鮎の天ぷら定食がお勧めというのでそれにしたところ、おかずは小さな鮎が5匹・冷やっこ・やまくらげ・吸い物だった。その場はご飯のおかわりをするほどではなかった。ところが、関越に入ると空腹感は次第に増して行った。17:30家に戻ったが、夕食には早く、近所のスーパーで好物の枝豆・鳥のからあげ・ざるそば・ホッケの塩焼を買った。腹はやっと満ちたが、一回の晩飯の不足がここまで尾を引くとは、、、、昼過ぎからのハードな登山でかなりエネルギーを消費した上、その後の補充が不足したのだろう。さらに、普段なら話題にもならないが、弁当の売り切れ、ドライブインと蕎麦屋の早じまい、焼肉定食の売り切れなど運も悪かった。
こうして盆休みの草津は終わった。この時期山の天気は悪く苦労することが多いが、空腹との戦いを強いられるとは準備不足と言われてもしかたない。反省しきりである。

Yが再就職

9月のある晩、横浜で飲んでいたら、Yが60才定年の話をしだした。すでに早期退職をして新しい会社に勤めることを計画中のようだ。再就職は難しいが、できそうだといっている。ただし、職場が厚木飛行場の近くで片道2時間半かかるので、どうしようかなと悩んでいた。勤めるとすれば実家の妙蓮寺から通うそうだ。毎週ではないが週末は松戸に帰るらしい。

山靴を買ったうえ、白砂山の登りでは肺の手術後とは思えないほどのスピードをみせた。下山後もこちらはふうふう言っていたのに、何か余裕があり楽しそうだった。どうやら山にとりつかれたらしい。

単独登山はたいがい家族から嫌がられるが、私も例外ではない。登山口にも単独登山はやめましょうなんてよく書いてある。この秋からの丹沢を楽しみにしていたのだが、単独をしないでも済むかもしれない。

よぎクリニック 内科 泌尿器科

與儀實夫